作品の感想を考察で裏付けるブログ

というのは名ばかりの、あまりにも煩雑なブログ

グリッドマンを見るとガッチャマンクラウズを思い出すねという話

グリッドマンは現在私の中で絶賛失速中である。

元々はゾンビ、青ブタに次ぐくらいの評価だったが、いまやほぼ暇つぶしとして見ている。

ただそれはグリッドマンがその二作品に劣っているのではなく、私に合わなかっただけだと私はわかっている。

ふと「こんなこと前にもあったなぁ」と思い、記憶を探ってみたらそれはガッチャマンクラウズだった。

クラウズとグリッドマンの相似点はまず、過去のヒーローもののリビルド作品であるということが当然あげられる。

そしてクラウズも今の私のグリッドマンに対する心象を五年くらい前に体験させてくれた。もっともこれは一般的な相似点ではなく私固有のものだが。

ただ、クラウズも今期のグリッドマンにはさすがに劣るが序盤はなかなか騒がれていた。

あと大事な相似点といえば、敵が人間ではなくより上位の謎の存在なことだ。

私はこれが両者の失速の原因だと思っている。

それから、主人公達が元からある対立に巻き込まれるように参加する点も同じだ。

なんでもない少年少女が急に目覚めてよくわからないままに対立の構造に首を突っ込むわけだ。

同様にこれも失速の原因だと思っている。

というか最後に挙げた二つの問題は本質的には一つの問題だ。要するにリビルドしても変えられない基礎的な部分が、もともと長期的な放送を見込んで作られた骨組みであるため、現在の1クールスタイルのアニメに適応できていないということだ。

中長期的な放送を行うアニメ作品は、打ち切りになる可能性もあるが、予定より長く放送していく可能性もある。むしろそうなって欲しいと思って作るのは制作として当然だろう。

だからどれだけでも簡単に引き伸ばしていけるような強固で大きな対立をドンと真ん中に一つ置く場合が多い。

ガッチャマングリッドマンの原典も例外ではない。

さらにそれはリビルドにおいても変わることはない。作品としての根幹的な構造を変えてしまえばそれはもうリビルドの範疇を超えてしまうからだ。

そして、そのような構造は初めから話数が決まっていて構成しやすい現代のアニメと比べるとあまりに単純だ。

だからこれはグリッドマンやクラウズの制作者が悪いという問題ではなく、ヒーローものリビルドとしての限界なのかなと思う。

それから、現代におけるヒーローもののあり方についても話しておきたい。

私はそれを伝統芸能だと思っている。

みんな見る前から大体どんなことが起こるのか知っており、作品ごとの細かな差異を楽しんでいくニッチなコンテンツ。

それが今のアニメ界においてのヒーローものだ。

馬鹿にしているわけではない。

むしろ現在のアニメの礎であり、立ち返るべき原点として尊敬している。

ただ既に一度完結したコンテンツであり、アレンジを加え新しく見せることはできても限界があるとも思っている。

ヒーローものを転回させ、切り刻み、本当に新しい形として提示して見せた作品を私は見たことがない。

できることならば見てみたい。

グリッドマンはそこまでを見据えた作品ではないのかなと思う。あくまで現代的なヒーローもののリメイク版だ。

ただ、正面から古くさいロボものに取り組んで若者の反響を呼んだことは手放しですごいことだ。

あまり馴染みが無かった若者を再度啓蒙するかのような役割を十分に果たした。

ただやはり、ゾンビランドサガのような全く新しい試みにチャレンジしている作品に比べるとインパクトは薄い。

あちらはゾンビアニメ、アイドルアニメで括ることは絶対にできないが、こちらはロボアニメでありヒーローアニメという枠に収まる。

全く新しいとは、それだけで作品の面白さや評価を引き上げる。

どこかで見たことあるような話でも斬新なコンテクスト上で展開されればまだ見たことがないかのような新鮮さを覚えるものだ。

ストーリー展開とはたいてい出尽くしている。それは言わば選択の連続であるが、絶対に選ぶことのない選択肢もあるため、型は想像よりずっと少ない。

現代の物語に求められるのはその切り口を変えてみせることなのだ。

そしてなにより型に気づかせないこと。

ゾンビランドサガはこれが非常にうまく作用している。

と、気づいたらまたゾンビの話をしていた。

これはあくまでグリッドマンについての記事なのでここら辺にしておいて、まとめに入りたい。

結論として、グリッドマンが失速したと感じてもそれはグリッドマンだけのせいではなく、ヒーローリビルドの物語的限界のせいだということ。

そしてあなたがロボとかのかっこよさを純粋に楽しめる人ではないということだ。私と同じで。

車が好きな人もいれば嫌いな人もいる。

車が好きな人になんで好きなのと聞いてもかっこいいからと言い返されるだろう。これはそういう問題だ。

グリッドマンは「実はロボってこんなかっこいいんだぜ」、「ヒーローものはまだまだやれるんだぜ」ってことを若い世代に現代の手法で再提示するための作品なのだ。

決して、「俺たちは全く新しいヒーローものを作ってその概念を拡張もしくは転回させてやる」という気概の下作られたものではないということだ。

そこにあるのはターゲットの違いであり、優劣ではない。

新しいものが見たいならゾンビランドサガを見ろということだ。